
「仕事ができる人にだけ、なぜか面倒な仕事や厄介な案件が集まってくる」 「英語ができると知られた瞬間、望んでいないハードな部署へ飛ばされる」
こんな光景、みなさんの職場でも一度は見かけたことがありませんか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/079c0764bf654bfc2107b12fd4957c9e2a821015
今回、ネットニュースで目にした『優秀な人ほど損をする? わざと無能を装い、不条理な人事から身を守る社員たち』(太田肇氏の著書抜粋記事)という記事を読んで、「まさにその通りだ!」と深く納得してしまいました。
今回はこの記事を読んで感じたことや、日本の組織における「不条理な人事」と「個人の生存戦略」について、僕なりの視点で書いてみたいと思います。
「適材適所」という言葉の都合のよさ
記事の中で特にハッとさせられたのが、「会社にとっての適材適所」と「個人にとっての適材適所」のズレに関する指摘です。
会社が言う「適材適所」は、一見すると合理的で正論に聞こえます。コミュニケーション能力が高い人を営業に配属し、ちょっと対人関係が苦手な人を企画に置く。組織全体のパズルとしては確かに「効率的」かもしれません。
でも、配属される個人の希望やキャリア形成が無視されているとしたら……? コミュニケーションが得意だからといって、本人が営業をやりたいとは限りません。本当は企画がやりたかったのに、単に「適性があるから」という理由で希望と違う激務に回される。
これって、個人の視点から見れば「能力があったからこそ受けさせられた罰(能力の罰)」でしかないんですよね。
「無能を装う」のは、個人の防衛策として超合理的
記事では、こうした不条理な人事を目の当たりにした社員たちが「わざと無能を演じる」「できないフリをする」という現象について触れられています。
昔で言えば「パソコンに詳しいことを隠す」「英語ができると言わない」、最近で言えば「管理職になりたがらない」「仕事の手際が良すぎると思われると仕事を増やされるから、あえて適度なスピードでやる」といった行動です。
一見するとモチベーションが低く、組織にとっては困った社員に見えるかもしれません。しかし、これって冷徹に考えれば「自分の生活やメンタルを守るための極めて合理的な生存戦略」なんですよね。
真面目に能力を発揮して社内評価を上げた結果、待っているのが「割に合わない責任」「激務」「希望しない配置転換」なのだとしたら、誰だって自衛に走ります。彼らは組織に反発するのではなく、「賢い利己主義者」として静かに自分を守っているだけなのです。
「滅私奉公」の時代はもう終わっている
記事の後半では、マズローの欲求階層説を引きながら、人間が持つ「安全」「承認」「自己実現」といった根源的な欲求に蓋をしようとする日本の「共同体型組織(滅私奉公を求める組織)」の歪みについて指摘されていました。
「会社のために自分を殺して尽くせ」という時代はすでに終わっています。
個人の欲求や幸福を無視して「能力のある人に甘え、潰れるまで使い倒す」ような組織運営を続けていれば、優秀な人から順番に「無能のフリ」を始めるか、あるいは本当の意味で優秀な人はサッサと転職してしまうでしょう。
結果として組織に残るのは、「都合よく使われる真面目な人」か「上手に手を抜く人」だけになってしまい、組織全体のパフォーマンスは下がっていくばかりです。
おわりに
「能ある鷹は爪を隠す」ということわざがありますが、現代のビジネス現場における「爪を隠す」行為は、謙虚さからではなく「不条理なシステムからの防衛権」として機能してしまっているのが悲しい現実です。
「頑張った人が順当に報われ、やりたい仕事に挑戦できる環境」を作らない限り、社員の「わざと無能を装う生存戦略」は終わらないだろうな、と強く感じた記事でした。
みなさんの職場では、「能力の罰」や「無能を装う賢い人」、心当たりはありませんか?