大和王権とは、3世紀から始まるとされる古墳時代に「王」(きみ)や「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国の首長を中心として、いくつかの有力氏族が連合して成立した政治権力、政治組織。
5世紀後半から6世紀にかけての雄略天皇(ワカタケル大王)の時代に「ヤマト朝廷」が成立したと考えられている。
6世紀初頭に近江から北陸にかけての首長層を背景としたオホド大王(継体天皇)が現れ、ヤマトにむかえられて王統を統一した。
磐井の乱
オホド大王治世下の527年には、北九州の有力豪族である筑紫君磐井が新羅と連携して、ヤマト王権と軍事衝突した。
すぐに鎮圧されたものの、乱を契機として王権による朝鮮半島南部への進出活動が衰え、大伴金村の朝鮮政策も失敗して、朝鮮半島における日本の勢力は急速に揺らいでいく。
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